不思議に恵まれた長門の旅(上)
− 童謡詩人金子みすゞに会いに行く −
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三宅豊毅(文・写真)
「みすゞ交流会が8月19日に開かれるの、三宅さんも参加しませんか」と
長門の内田あきこさん(そこはか長門ホームページみすゞ製作担当)より
素敵なおさそいがあった。
先約との調整も不発で残念ながら行かれない。
でも、どうしても行きたい。
<「大漁」夕焼け小焼けだ/大漁だ/おおば鰯の/大漁だ。//
浜は祭りの/やうだけど/海の中では/何万の/鰯のとむらい/するだろう。>
「いわしのとむらい」を教えてくれた、みすゞに会いに行きたい。
この「大漁」の詩に「長門のホームページ」で初めて出会った今年の4月から、
その思いは日々、強くなるばかりでした。
詩集「私と小鳥とすずと」を読み、大好きな詩を「書」にして、このホームページに載せました。
なぜ、若くして亡くなったか知りたくて、「金子みすゞの生涯」を読みました。
みすゞの詩のすべてを知りたくて「金子みすゞ全集」も読みました。
みすゞのページも「書」だけでなく「みすゞ館」として、このホームページのメインとなりました。
このホームページは3月3日「響きギャラリー」のタイトルで開きました。
<花は香り/鳥は歌い/魚は泳ぎ/人は響き/万物ハーモニー>の願いをこめて。
その日は、お雛様の日。みすゞと私の母が亡くなった月でした。
みすゞの詩を読み、共鳴し、感動の日々でした。
そして「人は響き」は「人は生かされ」が、より真実であることも知りました。
こうして、みすゞの墓参りをしたいと、その想いはつのるばかりでした。
故郷を訪ねて、みすゞの心とその原点をもっと知りたいと・・・。
女房殿も連れて長門・仙崎を訪ねることとなった。
8月1日2日の土・日曜日でした。
みすゞを初めて紹介してくれた、内田さんが出迎えてくれる長門へ。
新幹線名古屋発7時48分、小郡着11時25分。
高速バス乗換11時55分発、仙崎13時10分着。
定刻より5分遅れて仙崎駅に高速バスは入った。
内田さんとお子さんの浩輔くんが、
大きく手を振って出迎えてくれて感激。
初対面の挨拶もそこそこに、車に荷物を入れて写真を撮る。
仙崎駅にて
(右から:内田さん、浩輔ちゃん、女房殿)
「波の橋立」を眺める為に青海島高山オートキャンプ場に向かう、
10年前からの友人のように話しははずみ、「みすゞ」に感謝。
その登り坂、下り坂からの眺めは絶景でした。
<「波の橋立」・・・/右はみずうみ、ちょろちょろ波よ、/左や外海、どんどの波よ、/・・・
からりころりと通りゃんせ。>
みすゞさんが歩いているのが見えるようです。
波の橋立
(青海島高山の中腹にて)
そのあと、みすゞの詩の原点と言われる、「鯨墓」に向かう。
車で15分位でした。
鯨の「胎児」に戒名をつけ祀ってあります。
鯨墓
(海岸より3分程階段を登ったところ)
鯨墓は丘の上に海に向かって建っていました。
それは海を見たことのない「胎児」が墓から海を眺める事が出来るよう。
また、海からもお参りが出来るようにと、海に向かって墓が建っていました。
みすゞの父が生まれた「通(かよい)」のやさしさい風土が底流にあるのかなと、
内田さんが言われたとおり、みすゞの詩の原点をみる思いがしました。
<「鯨法会」・・・/沖で鯨の子がひとり、/その鳴る鐘をききながら、//
死んだ父さま、母さまを、/こひし、こひしと泣いてます/・・・>
鯨墓より海の眺め
(鯨のお父さんがお参りに)
「鯨資料館」では「近松みすゞボランティアガイド」の白石さんにお会いし、
みすゞが好きならと「童謡詩集金子みすゞ」の本を贈って頂きました。
女房もとても気に入り、旅館、帰りの電車で読んでいました。
私もつたなき書なれど「大漁」のミニカードを贈りました。
鯨資料館にて
(左から:内田さん、浩ちゃん、白石さん、私)
王子山へ向かう途中、雨が降り出しました。降ったり止んだり。
仙崎の町が一望出来ます。みすゞが「王子山」で詠んだとおりでした。
車から降りると、雨がやんでいました。
<「王子山」・・・/王子山から町みれば/私は町が好きになる/・・・>
王子山の展望台より
(みすゞさんの見た仙崎の町が)
弁天島へ向かう。今は近くまで埋め立てられて、弁天島へは橋で渡れます。
<「弁天島」「あまりかわいい島だから/・・・/貰ってゆくよ綱つけて。」/・・・・/
うそだ、うそだと思っても、/夜が暗うて、気になって、/朝はお胸もどきどきと、/
駆けて浜辺へゆきました。/弁天島は波のうえ、/金のひかりにつつまれて、/
もとの緑でありました。>
女房殿の最高のお気に入りです。私も大好きな詩です。
弁天島の詩碑
(橋を渡ると弁天島)
翌日に草場さん(金子みすゞ顕彰会理事)の写真を見せて頂き
弁天島に太陽が昇る時、海面は金のひかりに輝きつつまれて。
詩のとおりで感激しました。
黄金色に抱かれる弁天島
(目を凝らすと鳥居が?この写真はみすゞ顕彰会草場さん提供です)
みすゞの胸像・詩碑「大漁」のある所はドシャブリで車に閉じ込められ、車から写真を撮る。
ここは私に衝撃を与えた詩碑です。再度あとからと後にする。
祇園社(八阪神社)では雨も上がりお参りをしました。
(Q:パンフは「坂」奉納額は「阪」の字が書いてありました。なぜでしょう?
A:後日、内田さんの知人が宮司さんに聞いて頂きました。登記は「阪」だそうです。
でも、どちらでも構わないとのことでした。)
八阪神社の境内
(この時も雨があがりました)
そして、またもやドシャブリ。前も見えないので途中車を止め小休止。
雨足が少し弱くなり、今回の最大の目的である、みすゞの墓に向かう。
途中、「瀬戸の雨」の詩碑。雨のため車の中からの撮影。
瀬戸の雨
(詩題のとおり、雨がふる。ここから昔は渡し船が)
みすゞの墓のある遍照寺前に到着。墓の前の八百屋さんで献花を手に入れる。
バケツをあけた様な雨がピタリとやんだ。不思議、不思議、超不思議。
みすゞの墓にお花をお供え、持参の蝋燭に火を付け線香を立てる。
そして「般若心経」を心をこめてあげました。
女房もいつのまにか空で覚えていてくれて一緒に合掌。
内田さんも浩輔くんも一緒でした。
車のドアーを閉めたらまた土砂降り。信じれない位、不思議、不思議、超不思議でした。
みすゞさんがお参りの最中は雨も止めて、歓迎してくれたのかと思うと感謝と感激でした。
「みすゞの生涯」の本にもふれてありましたが、「矢崎先生がみすゞの墓を見つけた時の同じようです。」
また「みすゞさんが歓迎してくれているんです。」と、
内田さんより伺いあらためて二重三重の感激でした。
みすゞさんの墓
(花も絶えず)
浩ちゃんもお手伝い
(土砂降りの雨のあとが)
みすゞさんのお墓の近影
(左側に目を凝らすと「金子テル子」と(合掌))
みすゞ通りは「瀬戸の雨」(北)からの一方通行です。
土砂降りの雨をユックリと走りました。
「横丁」「極楽寺」「八百屋のお鳩」と車の中から写真を撮りました。
(写真省略します。是非、仙崎へ)
みすゞの生まれ育った「金子文英堂跡」の前に来たら、雨もまた止みました。
本当に嬉しいことです。車から降りて写真が撮れました。
みすゞの詩を全国に届けた郵便局は建て替えられて、今もありました。
みすゞの心を伝える本屋さんにも寄り、
色々プレゼントも頂きました。
金子文英堂跡
(今は、みんなの心に)
みすゞが通った「瀬戸崎小学校跡の標柱」も撮れました。
瀬戸崎小学校跡
(左側の車、内田さんの車)
JR仙崎駅の「みすゞ館」(100円)に入り、おざきしんごさんの美しい絵を見ました。
そして、珍しい大きな24時間柱時計もありました。
(下に、つづく)
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